日記をつけようと思った
久しぶりに、感じたことを日記に書いていこうと思いました。
目標として、週に1,2本は考えたことの日記を書こうともいます。
自分の立場や考えの再認識のため
日記を書き始めたのは、視座の低まりを感じたためです。
私は「視座は高いほうがいい。というわけではない」という持論があります。
物事を考える時、すすめるときは、視座を下げることも大切であると思っています。 それぞれの視座にあわせて、考えられる打ち手が違うと思っているからです。
視座を上げることで視点がぶれる事があると思いますし、視座を下げることで大局を見失うことがあると思います。
的確に視座の上げ下げを行えるようになることが大切だと思っていますので、文章を書くことで自分の視座・視野・視点を意識したいと思います。
20代の頃と違って、いい意味で落ち着きボケーッと生きてる自覚があり、少しでも考えたことを書き残そうと思いました。
オリジナルとしての自覚を持つ練習をする
ChatGPTの台頭があり、人間としての危機感があります。
一般的な文章制作であれば、自動生成や半自動生成の精度が実用レベルになります。
スマートフォンやインターネットの普及により、専門的ではない知識に関しては、知っていることの意義は低くなっています。 知識を活用すること、集めることが大切であると思います。
字がうまい、漢字を知っている、歴史を知っている、三角関数1が使えるなどの知識を否定しませんが、それだけで重宝されることはなくなってきたと思います。
私には未来のことは分かりませんが、私が私のオリジナルであることの自覚を忘れない事が必要と思います。
人間が作成した記事を増やす事が、これからの時代への抵抗であり準備であると思いました。
Footnotes
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「三角関数なんて知らなくても生きていける。」って言うと炎上すると思いますが、大人の8割は忘れているし生きているとも思います。ただ学習することは無駄ではないと思っていますし、1割ぐらいの人は仕事の知識として活用しているとも思っています。私は知識や趣味・興味として三角関数を知っている方が良いと思います。 ↩